
まだ僕が拭いていない窓がある
株式会社ユーズサービス代表梅澤 繁幸
梅澤さんが追い続ける「早く 美しく」の仕事。
窓ガラス清掃 38 年のキャリアを経て、目標だった大型施設の清掃も元請けで受注できるようになりました。
業界では第一人者となった梅澤さんですが、「全然満足していません。まだ僕が拭いていない窓がたくさんあります」 と更なる飛躍を目指しています。そんな梅澤さんのこれまでの軌跡と窓ガラス清掃にかける想いをお伺いしました。
ブルース・リーとドラムに憧れた少年時代

梅澤さんの幼少から今日のような窓ガラス清掃のプロフェッショナルになられるまでの経緯をお伺いします。まず、小学生の頃はどんなお子さんでしたか?何かスポーツをされていたのですか?

小学生の頃は友達も多く、活発な子どもでした。
スポーツは小学校高学年から空手をやっていました。映画でブルース・リーをみてかっこいいなぁと思って。高校を卒業するまでやっていましたね。

空手を辞められたのは何か他にあったのですか?

高校に入学した時にドラムをやっている同級生がいたんです。その人はもうすでにドラムをかなりやっていて教室の机を叩いているのを見て、 「かっこいい!自分もやってみたい!」 と思いました。
ブルース・リーのような強い人に憧れるけど、女の子にもモテたいという気持ちもあって(笑)そこからすっかりドラムにハマってしまいました。
高校時代は空手とドラムの両方をやっていましたが、卒業と同時に空手は辞めました。音楽に出会ってなかったら空手もずっと続けていたと思います。

女の子にモテたかったんですね。ドラムをやって女の子からモテましたか?

モテたのかなぁ。後に東京に行ったのですが、その頃はモテたかな。
僕はあまり積極的に行くタイプではないので、グイグイアプローチしていたらもっとモテたかもしれないですね(笑)
親の反対を押し切り東京へ


高校卒業後はどうされたのですか?

大学に進学をしたのですが、大学の授業よりもドラムをやりたい気持ちが強くて中退してしまいました。
先に東京に行ったバンドマンの知り合いが「東京においで」と誘ってくれていたんです。
親は大反対で、 「どうしても行くなら支援はしないので自分でなんとかしろ」と言われました。
当然その頃の自分に東京に行くお金はありません。でもどうしても諦めることができず、求人のフリーペーパーを眺めながら短期間でお金を貯めることができるバイトを探しました。
そこで目についたのが横浜で住み込みの新聞配達の仕事です。
横浜までの交通費も支給で、 食事もついていたので、 「これはいい!」 と思って早速応募し、横浜に行くことになりました。

新聞配達は大変そうですね。

バイクで毎日 20km 走って配達をしていたので結構広範囲でしたね。特に元旦は暗くて寒いし、何より新聞が分厚いので重くて泣きそうになりながら配達をしたのを覚えています。
休みの日に遊びにも行かず、頑張ったので 1 年で 300 万円を貯めることができたのです。軍資金ができたので、いよいよ念願の東京に行くことにしました。
音楽三昧の生活と人生を変える仕事との出会い

東京はどちらに行かれたのですか?

東京は杉並区ですね。高円寺あたりはライブハウスや練習場もたくさんあるので、音楽をやる人が集まっていました。そこで、念願の音楽三昧の日々を送っていたのですが、家賃の支払いや CD の大量購入、仲間と飲み食いをしていたら 300 万円を 1 年で使い果たしてしまいました。
生活費を稼ぐために 23 歳の時にアルバイトで始めたのが窓ガラス清掃だったんです。


東京はどちらに行かれたのですか?

そうですね、最初は高所の窓ガラス清掃は怖かったので避けていたのですが、高所の方がバイト代も高かったので高所もやり始めました。

高所の恐怖はどうやって克服されたのですか?

屋上からロープで降下できるようになるまでに 3 ヶ月くらいかかります。
降下できるようになるコツは”絶対に落ちない”とロープを信じることができるかどうかですね。
1 階ずつ降りながら窓ガラスを 3〜4 枚拭けるようになるのに 3〜4 年かかります。
その頃は池袋芸術劇場とか東京ガス、ホテルなど高い建物の窓ガラス清掃をやっていました。懐かしいなぁ。
東京タワーに登らなくても東京の景色を一望できるので爽快でした。


9 年東京に居たのですが、31 歳の時に父親が病気になったのをきっかけに広島に帰ってきました。
広島に帰ってからもドラムは続けていて、今でも定期的にライブハウスで演奏しています。


音楽三昧の生活と人生を変える仕事との出会い

広島に帰られてからすぐに窓ガラス清掃を始められたのですか?

広島に帰って来てからはダスキンに就職しました。次に、清掃全般の技術を身につけたいと思い、床清掃の会社に就職しました。

床清掃の会社のあと独立されたのですか?

ガラスと床の清掃ができるようになったので、「もう独り立ちできるな」と思ったんです。
そこで平成元年(1989 年)に独立してやり始めました。

お仕事はどうやって受注されていたのですか?

最初は下請けからですね。 下請けと言ってもひ孫受けかその下くらいの本当に末端で仕事をしていました。今は元請けで仕事を頂けることが多くなってきています。
どのポジションで仕事をするかで報酬がずいぶん変わって来ます。
「早く、美しく仕上げる」10 年かけて習得した熟練の技

末端から上のポジションに上がるためにどんなことをされたのですか?

のポジションに上がれたのは 2 つ要因があると思っています。
一つはやはり技術ですね。早さと仕上がりの美しさには誰にも負けない自信があります。
独立当初はすごく安い報酬で使われるなど理不尽なことがたくさんありました。
ですから、そこからどうしたら抜け出すことができるか、他社とは違うことをしようと考えていました。
それが“早くきれいに仕上げる”ことだったんです。それからずっと早く美しく仕上げることを追求してきました。
例えば、ロープで降りながら窓ガラス清掃をする時に、他の人は 1 階につき右側の 3〜4 枚しか拭けません。
僕は一度に左右 6 枚拭けるので他の人の半分の時間で仕上げることができます。
6 枚拭くには、左側の 3 枚は左手で拭くことになります。これが難しいんです。
仕上がりの美しさも求められますから、僕も 6 枚拭けるようになるのに 10 年かかりました。

10 年ですか!すごく苦労して技術を身につけられたのですね。

特に苦労したとは思ってないですね(笑)
毎日ガラスを拭きながら、少しずつ拭ける範囲を広げていった感じです。
弊社の社員も全員左右 6 枚の窓ガラスを拭くことができます。
早くきれいに仕上げるために道具もすごくこだわっています。
スクイジーという水を切る道具のゴムやマイクロクロスもあらゆる製品を試して、「これだ!」というものを見つけました。
ゴムもクロスも消耗品ですから、常に状態をチェックして劣化したらすぐに取り替えるようにしています。
マイクロクロスは 50 枚くらい持っています。一番高いもので 7,000 円くらいします。
フェラーリは何千万円もする車ですがその車をボロ雑巾で拭きますか?拭かないですよね。ですから僕もお客様のお家の窓ガラスを拭く時は品質の良いクロスで拭くようにしています。

洗剤もこだわっています。中性洗剤は安価ですが、泡が立つので何度もスクイジーで水を切らないといけないですし、手間がかかる割にあまりきれいにならないんです。ですから、価格が高くても一度水を切っただけできれいに仕上がる泡が立たない洗剤を使っています。これも早くきれいに仕上げる秘訣ですね。
水道水の不純物を取り除く純水機や、10m まで届く足場も揃えています。
そして、依頼された場所以外のところにも汚れているところがあると、ささっときれいにします。このプラスワンのサービスも大変喜ばれています。
とにかく僕は徹底的にきれいに仕上げないと気が済まないんです。

上のポジションに上がれたもう一つの要因は何だったのですか?

目標を持っていたことですね。
現場に行く途中でビルを見ると 「この窓はどうやって拭いているんだろう」「将来は絶対俺が拭いてやる!」と思っていました。そうして「早くきれいに」を心がけていたら、だんだん信頼されるようになって、仕事の依頼が
来るようになったのです。

失敗は「技術」に変える

「願えば叶う」を実践されていますね。窓ガラス清掃で失敗されたことはありますか?

それはやっぱり色々あります。印象深いのは結婚式場のチャペルの窓ガラス清掃をした時のことです。
3m の厚さのガラスに洗剤をつけたらガラスが白濁してしまったんです。拭いても取れなくて。あの時は焦りました。
結局横浜からガラス研磨ができる人に来てもらって修復しました。 ちょうど結婚式がなかったので良かったですが、修復するのに 6 人で作業しても 2 日かかるほど大変でした。
それから僕も研磨の技術を習得しました。 研磨の技術を身につけたのでさらに掃除の範囲を広げることができるようになりました。水道水に含まれている不純物が固まるとウロコのようになり拭いただけでは取れませんが、研磨をするときれいにウロコをとることができます。

失敗をバネにさらに研磨の技術を身に付けられたのですね。
⻑くやっていてやめようと思ったことはないですか?

やめようと思ったことはないですね。
東京、大阪、京都、山口、四国などいろんな現場に行くので新鮮さがあります。毎日同じところに行くのだったら飽きていたと思いますけど(笑)海辺のホテルで絶景を見ながら清掃をするのはとても気持ちがいいです。大きな建物の窓ガラス清掃が終わった時は、やはり達成感があります。戶建ての住宅の清掃をした時はお客様が喜んでいる様子を間近に見ることができますし、 直接お礼の言葉をかけて頂けるのでお役に立てて良かったと僕も嬉しくなります。

業界の発展に貢献

中四国ガラス外装クリーニング協会の会⻑に就任されたのですね?

はい。私は⻑らく同団体の関⻄協会で理事を務めていました。その間、中四国でも協会を立ち上げたいと考えていたんです。そしてついに 2024 年 10 月に協会を立ち上げることができました。
ガラス清掃は高所作業が多く、知識を持たないまま作業をすると事故になってしまいます。そこで会員の技術力向上と安全管理の意識を高める活動をしています。また、2 年に一度窓ガラス清掃のスピードと仕上がりを競う大会も開催しています。




自社だけでなく、業界全体の底上げにも尽力されているのですね。
大きな商業施設の窓ガラス清掃を元請けで受注するという当初の目標も達成され、今では業界で第一人者として活躍されるようになりました。もう満足ですか?

いえいえ、 全然満足していません。まだ僕が拭いていない窓がたくさんあります。もっと会社を大きくしてこれからもあらゆる場所の窓を拭いて行きたいです。

窓ガラス清掃一筋で 38 年。「早く美しく仕上げる」と言うのは簡単ですが、それを実現するために何年もかけて技術を磨き、道具へのこだわりなど一言の裏には膨大な努力の積み重ねがあることがわかりました。
これからもユーズサービスはさらに進化して行きます。
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